このブログは釣りのブログであって、サッカーは関係ありません。
それでも今、お伝えしたいことがありますので、こちらに書かせていただきます。
想いを詰め込みすぎた結果少し気取ったような文章になりますが、お許しください。
また、サッカー経験が多くない私の主観に基づいていることをご了承ください。
遠藤を見つけた日
テレビでサッカーを観ていると、必然的に斜め上からの視点になる。
ピッチの中のかなり広い範囲を俯瞰することができる。
じっとしているので疲れることもない(展開によっては精神的に疲れるが…笑)。
一方でピッチ上の選手の目線ははるかに下にあり、息が上がった状態で、敵選手のプレッシャーに晒され、動きながらボールを扱っている。
どこにスペースがあるか、誰がフリーかなどを把握することに関しては、テレビで見ている私のほうが圧倒的に有利だ。
「あそこにボールが渡れば…」と私が気づいても、ピッチ上の選手がそれに気が付いていなさそうなことも多い。
「あぁもうなんでそこ出さへんねん!」とストレスを感じる(気楽に見ている立場から偉そうなことを言って大変申し訳ないが…笑)。
シドニーオリンピックの予選をテレビで見ていたときだった。
いつもストレスを感じる私にとって、気持ちよくボールが回る瞬間が何度もあった。
むしろ私が気づかなかったところをボールが通ることもあった。
ワールドユース準優勝のメンバーが中心のチームだけはある。
…と思っていたが、どうやらその瞬間にほぼ同じ選手が絡んでいることに途中で気づいた。
それが遠藤だった。
技術の詰まった派手なプレーはしない、フィジカル的な長所を活かしたプレーもしない。
見た目に分かりやすいプレーではない。
それでも、「実はこの人が一番ヤバいんちゃうか。」と思った。
若くして名を上げた実力者ぞろいの黄金世代の中で、当時は地味な方だった遠藤が私の印象に強く残った。
のちにシドニーオリンピックの本選でメンバーに選ばれていないことに気づいたときはちょっとキレかけ…いや、キレた(笑)。
スタジアムで見た遠藤のプレー
2001年シーズン、遠藤がガンバ大阪に移籍する。
私の贔屓チームにあのヤバい人が来る。
これ以上ない補強、最高のニュースだ。
間違いじゃないか何度見かしたが、間違いではなかった。
万博で試合を観ると、テレビでは見えなかった部分の凄さも伝わってくる。
足は速くないが、実は持久力と加速力があったりする。
持久力のほうは途中から走行距離のデータが出るようになったので知られるようになったが、加速力もある。
走るフォームを瞬間的に変えている。
状況判断の早さや先読みの鋭さと合わさって、こぼれ球はもちろん、攻撃や守備に切り替わるときにも重要なポイントや味方が空けたポジションに素早く入っていくことができる。
あらゆるところに顔を出し、いつの間にかフリーになりボールを呼び込む。
守備では危険なエリアを埋めて、無理をせず相手の攻撃を遅らせる。
そして今なら皆が知っている通りの「遠藤」のプレーで試合をコントロールし、そして得点を生み出す。
「1人でどんだけの範囲を何とかしてしまうんやこの人は…」
これが実際に試合を見に行ったときの感想だった。
遠藤こそがマジシャン?
サッカー選手が「マジシャン」と形容されることは少なくない。
そしてそれは、私の世代ではロナウジーニョに代表されるような、常人離れした足技を見せる選手に当てはめられることが多い。
私の感覚では、彼らがやっていることは「曲芸」に近い。
確かにその瞬間は不意に訪れるのでマジック的なところもあるかも知れないが…。
マジックには仕掛けがあって、マジシャンは観客の意識や目線をそれとは別のところに向けながらそれを進めていき、観客が気づくときにはすでに完成している。
遠藤のプレーはそれに近い。
サッカーでは意識や目線をそらされるのは観客ではなく、相手選手になる。
狙いどころを見つけて、相手選手に悟られないようにタイミングを見計らい、そこにボールを届けたり自分自身が進入したりする。
相手が気づいたときにはもうすでに危険な状況が出来上がっているのだ。
しかも遠藤は狙いどころを複数持っている。
他の選択肢をギリギリまで探している。
だから途中で変えることもできる。
状況によって完成形を変えることができるタイプの凄腕マジシャンだと思う(笑)。
観客からすると、マジックを観たときの衝撃というよりは、将棋などで形勢が大きく変わる一手を目撃したような爽快感のほうが近いのかもしれない。
遠藤の凄さ
サッカーが好きな人と話をしていると、当然好きな選手は誰かという話題にもなる。
2001年の途中からはずっと「遠藤」と答えている。
初めの頃は「どこが良いのかわからない。」と言われることが多かった。
2010年頃になるとそれを言われることもなくなったが、逆に「有名な選手を言っているだけ。」と言われることが出てきた。
どちらにしても非常に腹立たしい…(笑)。
上記のようなことを一生懸命伝えるのだが、あまり理解されてないようだった。
そりゃあそうだと思う。
凄いところが多すぎるから。
派手で分かりやすいプレーが少ないから。
情報量が多い上に、その大部分が分かりにくいのだろう。
私自身も何をピックアップして伝えたら良いのか迷い続けていた。
なかなか伝わらないもどかしさを抱えながら十数年が過ぎたが、今なら説明ができる。
「いつだって頼りになる。」
これが遠藤保仁の凄さだ。
アスリートには好不調の波や、指導者やチームメイトとの相性などが付きまとう。
不調でもその中で最善のプレーを選択する。
監督の方針や選手の特徴に合わせつつ、自分の色も出す。
どんな状況でも遠藤は自分のプレーをまとめて質の高いものを提供できる。
圧倒的な公式戦出場数がそれを証明している。
私はそんな遠藤に長年、“夢を乗せて”きた。
私の人生最大のヒーローだ。
残された時間は多くない
日本代表でもガンバ大阪でも、遠藤の後継者問題が議論されてきた。
私の回答は「無理」だ(笑)。
そんなものはない。
誰も受け継ぐことはできない、一代限りの選手だ。
そんな選手だが2016年にハッキリと衰えが見えた。
意識と体のズレなのだろう。
明らかに精細を欠いたプレーが増えた。
試合中、異常なまでにアンテナを外に向けてプレーしていた遠藤が、自分の内側に意識を持っていかれているように見えた。
2017年~2019年はそのズレに対応して、何とかプレーをまとめていたように思う。
比較的コンディションが整いやすいのか、開幕期や秋頃にらしいプレーが多く見られた。
2020年の開幕戦もフル出場で「今年も何とかやってくれそうだ」と思っていた。
そこで新型コロナウィルスによって中断されてしまった。
再開初戦、前半30分過ぎだったと思う。
攻撃に切り替わってポジションを前に移したところで、一瞬胸に手を当てた後、膝に手をついたのが見えた。
まだ前半の途中だ。
明らかに体がついてきていない。
その試合は後半の早い時間に交代になった。
そしてそこから出場機会は激減した。
宮本監督の目指すスタイルからほど遠いコンディションなのだから当然だ。
移籍のニュース
宮本監督は遠藤を「得点が必要なときの切り札」として出場させるようになった。
私は私で、「役割を限定すればまだまだ活躍できる」となんとか納得しようとしていた。
「今年で最後になってしまうかも」という恐怖を感じながら…。
試合で必要な体力は試合をすることでついていくものだと思う。
この形が固定されてしまえば、長時間出場するコンディションが整うことはない。
今後ずっと限定的な出場になってしまう可能性が高い。
遠藤と同じくクラブの象徴であるローマのトッティの最後の2シーズンがそうだったように…。
できるだけ長く続ける希望を語っていたが、同時にこのような状況で続けることを良しとはしないことも語っていた。
引退を決断してもおかしくない…。
いつか来るのは分かっていた現実が、急に目の前まで来た気分だ。
ここ1、2か月はその現実を間近に感じながら、目を背けるように過ごしていた。
そして出てきたのがジュビロへのレンタル移籍のニュース。
まだまだやる気なんだ!
スタメンを取り返そうとしているんだ!
私はそう受け取った。
とても寂しいが全く悲しくはない、そんなニュースだ。
ガンバからいなくなることは寂しい。
でも遠藤が全くあきらめていないことが分かった。
40歳を過ぎた選手にとっては過酷すぎる場所だが、そこに戻るためのチャレンジなのだ。
多くの人に遠藤のプレーを見てほしい
去年までは希望や現実逃避も込めて、私は「10年後もボランチは遠藤」などと言っていた。
しかし今年、現実をはっきり突き付けられた。
遠藤のプレーを見ることができる時間はあまり残っていない。
今のうちに、遠藤にしか生み出すことのできない大きな流れを目に焼き付けておこう。
幸い、遠藤もまだまだ続ける気だ。
そして居場所に戻る気だ。
ちょうど24時間後、移籍後初めての試合がある(台風は空気を読め…笑)。
私のヒーローが諦めていない以上、私は信じるしかない。
全力で応援するしかない。
私のような想いを持った人はたくさんいるのは知っている。
でもそうでない人たちにも遠藤のプレーに注目してほしい。
伝説的なキャリアを送った名手をリアルタイムで見られるという、Jリーグを愛する人たちにとって本当に贅沢な時間が、まだ残っているから。
そしてその貴重な時間が、どんどん延長されていくことを心から願っている。
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